お祭り

博多祇園山笠の歴史や由来~2015年の日程について

 

福岡博多を代表する祭りのひとつである「博多祇園山笠」が今年もやってきます。

 

鎌倉時代を起源とすると言われる博多祇園山笠は770年余りの歴史を誇り、博多の総鎮守・櫛田神社に祀られる素戔嗚尊(祇園大神)に奉納される祇園祭です。

 

博多祇園山笠は7月1日から15日間にわたって行われ、山笠の掛け声「おっしょい」が鳴り響く中、博多は煌びやかな飾り山笠一色に染まります。

 

 

約300万人の観客が訪れる博多祇園山笠の歴史や由来、2015年の日程についてご紹介します。

 

 

 

博多祇園山笠の歴史

 

 

「博多祇園山笠」は近代に入り幾度とない存亡の危機を迎えます。

 

しかし町は危機を乗り越え今日の山笠の隆盛を迎えています。

 

古き伝統を守りつつも時代時代に受け入れられながら伝承されてきました。

 

山笠の発祥から今日までの歴史をご紹介します。

 

山笠の歴史

 

仁治2年(1241年)

 

聖一国師が疾病平癒のため施餓鬼棚にのって浄水をまき博多の浄化を祈願した。

 

(有力な起源説)

 

天正15年(1587年)

 

豊臣秀吉が九州征伐を行い島津氏を降伏させて九州平定を成し遂げる。

 

博多の豪商 神屋宗湛と嶋井宗室の協力を得て、「太閣町割り」を行い町の区画をつくり山笠の「流」が発祥する。

 

明治5年(1872年)

 

封建制を打破する意図で明治政府によって「博多松囃子」と共に山笠は突然禁止される。

 

山笠は明治5年までが最も高く16メートルにも及んだとある。

 

福岡市美術館 黒田記念室「最古かもしれない山笠写真」。

 

明治16年(1883年)山笠が本格的に復興する。

 

明治31年(1898年)

 

山笠が電線を切断する事故が相次ぎ知事から中止を提議される。

 

運行する高さ3メートル程の「舁き山」と、据え置かれる「飾り山」とに分かれる。

 

舁き手の出で立ちが締込みだけの裸に近いものだったことも中止提議理由であったため全員が水法被を羽織り切り抜けた。

 

明治43年(1910年)

 

追い山が新暦7月15日に行なわれる。

 

電車架線のため舁き山が低くされる。

 

昭和20(1945)年

 

福岡大空襲ため山笠は中止となる。

 

昭和23年(1948年)

 

山笠が復活する。

 

人が少なく追い山ならし・追い山ともに櫛田入りのみ行なう。

 

昭和30年(1955年)

 

「博多部外」の新天町等でも飾り山行事が行われる。

 

昭和37年(1962年)

 

福岡市中心部に舁入れる集団山見せなどが始まる。

 

万四郎神社前から天神・福岡中央郵便局前までの昭和通りを約1.5キロ走り福岡市に舁き入れられる。

 

昭和39年(1964年)

 

川端通商店街が分化以前の「走る飾り山」を復活させる。

 

「走る飾り山」は高さが伸縮式になっている。

 

昭和41年(1965年)

 

博多地区の町界町名整理が行なわれる。

 

由緒ある土居流は解散するが「土居流保存会」を作られ流を継続する。

 

伝統を誇った呉服町流は解散した。

 

この町界町名整理で出来た新しい「町境」を加味して、東町流を中心とした東流、西町流を中心とした西流が誕生した。

 

大黒流、恵比須流、土居流(保存会)は旧町単位で参加した。

 

昭和45年(1970年)

 

小学生が小型山笠を舁く「子供山笠」が始まる。

 

昭和54年(1979年)

 

国の重要無形民族文化財に指定される。

 

平成14年(2002年)

 

飾り山や山笠の人形の衣装の生地が博多織になる。

 

 

 

由来について

 

 

博多山笠の由来は、鎌倉時代の仁治2年(1241年)、博多に流行した疾病を平癒するために聖一国師(円爾)が町民の担いた施餓鬼棚に乗って、祈祷水を撒き町を清めて廻ったことを起源とすると言われています。

 

また山笠を支える「流(ながれ)」が生まれたのは豊臣秀吉による「太閤割り」が起源とされています。

 

安土桃山時代、大陸貿易の拠点をして隆盛していた博多はその支配権をめぐり大名間の熾烈な戦場と化し町は焼け野原となりました。

 

秀吉は島津氏との戦いの後、博多の復興に乗り出します。

 

その手始めとして行ったのが焼け野原となった町を「町割り」として分けた区画整理でした。

 

博多の町を区画に分け、その一区画を「流」と呼んでグループ化して博多の復興を行なったのです。

 

この「流」が現在の博多祇園山笠の千代流・恵比須流・土居流・大黒流 ・東流・中洲流・西流の七流の発祥となりました。

 

博多祇園山笠のクライマックスである「追い山」は、かつては町ごとに飾り山の華美を競いながら練り歩いていました。

 

しかし江戸時代の貞亨4年(1687年に)、土居流が東長寺で休憩をとっている間に、石堂流(現在の恵比須流)に追い越され、ここで土井流が負けじと走り出し、2つの流が抜きつ抜かれつの競いあいとなったことが評判となり「追い山」が始まったとされています。

 

 

 

2015年の日程について

 
博多祇園山笠 日程
 

博多祇園山笠は7月1日から開幕します。

 

博多部を中心に合計14の飾り山が公開されます。

 

この絢爛豪華な山笠「飾り山」の公開で15日間の日程がスタートします。

 

1日から9日までは「静の期間」。

 

山笠が走ることはありません。

 

7月1日・7月9日

 

お汐井取り

 

町境に注連を張り辻々にお祓いをし「お汐井道」と呼ばれる小道をたどって箱崎浜まで汐井取りに行きます。

 

7月4日

 

舁山の棒締めと試し舁き。

 

7月6日

 

飾付。

 

7月7日

 

舁山の御神入れ。

 

7月9日

 

各流の汐井取り。

 

7月10日

 

流舁き。

 

博多祇園山笠が動き出します。

7月11日

 

朝山。

 

早朝5時に博多の町に「おっしょい」の声が響き渡ります。

 

他流舁き。

 

夕刻、他の流の流域に舁き入れます。

 

1日に2度舁くのはこの日だけ。

 

7月12日

 

追山馴らし。

 

「追山」に向けた予行演習。

 

時間とコース距離が若干短いものの全コースを試走します。

 

他の流よりも早く駆け抜けようと本番さながら山笠を舁きます。

7月13日

 

集団山見せ

 

舁き山が博多部を超えて福岡中心部に入る「集団山見せ」です。

 

7つの流すべての舁山が揃って福岡市役所前の桟敷席へと舁きます。

 

7月14日

 

最後の流舁き。

 

7月15日

 

追い山

 

午前4時59分、博多祇園山笠のクライマックス「追い山」は、一番山笠が山留を出発し櫛田神社の境内を回って奉納するのを皮切りに、計8つの山笠が次々と櫛田入りし、境内を出たあとは昔ながらの巡路で洲崎町の回り止めまで約5㎞を駆け抜けます。

 

櫛田神社では最後の山笠の櫛田入りが終わると能楽師による鎮めの能が舞われます。

 

すべての追山が終わると各流は直ちに飾り山・舁き山を解体し山笠行事が終わります。

 

 

 

まとめ

 

 

九州博多の夏の到来とともに始まる「博多祇園山笠」は鎌倉時代を起源とする歴史ある祇園祭です。

 

祭りは15日に及び市民から「山笠」「ヤマ」とも呼ばれ舁き山・飾り山が博多の街を席巻します。

 

博多の総鎮守櫛田神社の祭事である「博多祇園山笠」は国の重要無形民俗文化財に指定され、山笠の掛け声「おっしょい」は日本の音風景100選に選ばれました。
山笠を担ぎ市内を駆けることを山笠を「舁く」(かく)、担ぎ手を「舁き手」(かきて)と言いいます。

 

博多祇園山笠は櫛田神社の氏子たちが行う奉納行事であり、市民が伝承してきた伝統的な町内行事です。

 

祭り期間中博多の街は豪華絢爛な山笠と「おっしょい!おっしょい!」の掛け声とともに舁き山を担ぎ駆ける男衆に埋め尽くされていくのです。